きりのPFCSログ

企画「PFCS」のログです。

MENU

【我が音色は律に非ず】 02 - 蝴蝶の謁見

第二話

 心の城と書いて心城、首都の煌めきは確かに心を躍らせるものがあるだろう。たとえ其れが、潰れた夢から生じる電子の幻影だとしても。銜尾蛇で最も賑わっている其処へ足を踏み入れた迅律は、高貴なる血脈の生まれからは想像できぬ、大衆の流行に感動していた。今まで馬鹿馬鹿しいと感じていた、ネオンサインの溢れる俗世間が新鮮なものに感じ取れた。まだ聞こえぬ調べがあると、迅律は提箱スーツケースを引いて最初に楽器屋に向かった。
 低座ベース六弦琴ギター鍵盤キーボード鼓組ドラムセット。店内にはテレビでしか見たことのない楽器が、一面に並んでいる。迅律の目は輝いていた。世を乱すつまらぬ曲など聞くな、という父の教え反抗し、憧れていた新しき音に相見え、純粋に喜んでいた。彼に馴染みのある二胡や琴も店の奥にあったが、目もくれず、電子的な楽器の姿見に惚れ込んでいた。
「……あんちゃん、バンドでもやっているのかね?担当は」
 30代ほどの店員が迅律の顔を不思議そうに覗く。一応、彼は学生時代の庶民的な無難な格好をしてきたのだがそれでも上質の素材を使って縫われた服であることは隠せないようだ。楽器は安くない。高所得者がやってきたところで場違いとは思わないが、その店員は妙な違和を感じ取っていたようだ。そして迅律にとっても、ロックバンドを組むなどという発想がないため、回答に困っていた。
「否、俺は楽器は」
 古楽器に親しんだことを言おうとしたが、正体をばらされると思い、留まる。代わりにこう答える。
「からっきしで。でも、曲を作ることには興味があります。」
 ふうむ、と店員は下顎に手を置き、別の店員を呼んだ。作曲ならもっといいものがあるからと、新たに出てきた若い店員に迅律は導かれた。其処には大量のツマミとレバー、柔らかい感触の光るボタンや鍵盤が並んだ装置と、これまた複雑な装置の埋め込まれたコンピュータがあった。
「これは」
電子音頻工作站DAW、つまるところ作曲するための……装置といいますかね」
 迅律は驚愕した。銜尾蛇人である以上、コンピュータについて無知ではない。だがそれまでアナログの世界にいた彼が電子化された音楽の世界を覗くことは無かったのだ。街で流れる、民衆の踊る楽が低俗とは思っているわけではない。その始原を垣間見ることによって、新鮮で美しいものに見えたのだ。
「……音楽を、こうやって作っているのですか」
「そう、ここに調べをもっていき、この調べと並べて再生すれば、ほら」
 操作方法を店員から教わり、装置の三角形のボタンを押す。するとスピーカーから音が流れていく。迅律にとっては、それがあまりにも衝撃的であった。嘗て母と共に奏でた、古楽の調べとは全く異なっている。だが、これは音楽である。
「素晴らしい」
 感激した迅律であったが、値札を見ると300ドル、それは決して安くはなかった。持ってきた金を全て使い果たす訳にはいかない。しかも、それは装置一つの値段である。店員に聞けば、これを揃えると1000ドルは下らないと漏らした。彼は諦めたが、諦めきれていない顔をしていた。
「……しばらくこのあたりで稼いでから、絶対に手に入れますからね。」
 店員にそう言うと、彼は楽器屋から立ち去った。店員も上京した人間と思ったのか、頑張れよと応援をし見送った。然し……実際はそれどころではない。無計画に奔走した彼に、帰る家はなかった。いくら夜も温かい本土とはいえ、家なし乞食のような生活に彼が耐えられるはずもない。安宿を手に入れようと、金が尽きれば追い出される。才はあれど、経験はない。故に稼ぎ口の確保も出来ていない。だが不思議と、彼は後悔していなかった。どんなに苦労しようと、自分が自分でいられる場所を見つけることができるなら。若さ故の愚かさが、彼の生きる糧だった。その愚直さを出汁に拾う人間も、またいたのであった。
 行く宛のなくなった迅律はナイトクラブへと足を運んだ。理由はない。強いて言うなら社会科見学のような好奇心であろう。端正な顔立ち故数人女は寄ってきたが、適当にあしらう。そこで彼が惹きつけられたのは矢張り音楽であった。ディスクジョッキーの選曲した髄に響く重低音は彼の心を鳴らした。紫外光に照らされ蛍光を発する世界の、深く鋭いシンセサイザー。酒に薬に、踊り狂う人々の狂気に、迅律は惑わされる。そしてどんな刺激よりも恐ろしい毒が、背後に寄りかかっていた。
「おや、見ない顔だね」
 暗い室内で顔はよくわからなかったが、その浅黒い肌から謝姓サムサールの人間であることが判明した。額を包帯で隠しているあたり、確実だろう。男は紫のマオカラースーツを羽織り、細目で微笑んでいた。だが悍ましい気迫も、同時に迅律は感じ取っていた。この妖怪は、ただの客ではないと。
「ここは初めてかね?」
 サムサールの男が問う。こくりと頷いた迅律は、その蛇が這う様な低い声に戦慄した。
「探るようで悪かった。僕はシェ・ 黒燕ヘイヤン。ここのオーナーみたいなものさ。ちょっと見ない顔だったから、覆面警察か何かと勘違いしてしまった、悪かったね。」
 警察、という物騒な言葉に少々疑問を感じながらも、迅律も謝る。
「いえ、こちらも一見の身で安々と入ってしまって」
「ふ、お忍びかい、王子様?」
 自分の身分を見透かされた様な気がして、彼は言葉を失う。黒燕は、服飾から彼が身分の高い者だと察していたのだ。
「おちょくって悪かったね。冗談さ。でもいいだろう、こういう音楽も」
「ええ、とても感動しています」
 大音量で鳴る音楽に、衆は踊りを止めない。
「どうして僕が君を呼び止めたのか、分かるかな?」
「警察と疑った、からでは」
「……しっかりと話が聞ける子だね。それも理由であるけど、正確には違う。本当の答えは君がこのイベントではなく、曲に夢中だったからだよ。」
 謎掛けにくすりと笑う黒燕、迅律は全てを見透かされたことに、軽く怖気づいた。然しこれは、自分のことを分かってくれる人に会えた機会であるとも感じていた。
「なぜ、それを」
「君は、此処に来て拍を取っていた。そしてズレに首を傾げていた。普通の人は気づかないような違いにもね。それと、自然と空中で古楽器の弦を動かしていたね。音楽をやっていた人間の性だろう。僕はよくわからないけど、あの動きは琴かねぇ。」
 自分が見られていたことも、勝手に手が動いていたことも知らなかった迅律は、彼の観察力にいよいよもって畏怖を感じていた。
「……察するに、君は音楽が好きなのだろう?」
 黒燕は、再び笑った。首を縦に振りたいが、この妖怪に従っては行けないと野生の勘が訴えていた。それでも、欲望に肯定してしまう。
「ええ、そうです。でもそんなに俺を見て、何がしたいのですか。俺をどうするおつもりですか」
 答えを聞くのが怖かったが、こう尋ね返すしかなかった。男は薄く目を開き、水色の瞳を覗かせて、答えた。
「君も、あのような曲を作りたいのだろう?」
 心音が、強く響く。彼はそれが「速い」ということも熟知していた。黒燕が続ける。
「僕のもとにこないか。君を一流の作曲家コンポーザーにしてあげるよ。」
 甘美な誘惑だった。それが毒を含んでいることも知らず、迅律の真紅の目に蛍光色の光が差す。
「……僭越ながら」
 だがあまりにも虫が良すぎると、迅律は言葉を選びつつ質問をする。
「その、条件を、」
 ディスクジョッキーがフィルターを通し、曲がくぐもった音から次第に晴れていくように、曲の調子が変わっていく。
「……私の仲間になることだ。掟を守りさえすれば、君は君のままでいてくれて構わない。サポートは最大限考えよう」
 其れは、あまりにも危険な契約であったが、迅律には理解が出来なかった。彼は娑婆に於いては、純粋で愚かだったのだ。そして、決断をあっさりと下してしまう。
「分かりました。黒燕さん……俺に、機会チャンスを下さい」
「そう言ってくれると思っていたよ。契約成立だね。君の名前を聞かせてくれ。」
「梁 迅律。」
 迅律にも笑顔が宿る。愚かにも夢を叶えるための一歩を歩んだと、確信したためだ。
「シュンリーくん、か。その尖り耳は、アスラーンのものだったんだね。綴りは」
 彼は自分の名刺の裏を利用し、持っていた万年筆で名前を書いてくれと頼んだ。暗い室内で達筆な自署をする迅律。
「ほう、まるで楽士の為に生まれてきたような名前じゃないか……」
 期待をする黒燕に、喜ぶ迅律。その名刺は貰っていいよ、と黒燕が言うので、迅律は彼の綴を確認するためにも裏返す。其処にはレーベル会社の名前と、会長の肩書を持つ黒燕の名前が書かれていた。大抜擢だ。まだ始まったばかりとはいえ職にありつけ、夢も叶うと、彼は目先の誘惑に嵌っていった。

 ――そう、迅律はまだ知らなかった。それがマフィア「蠱幇」が実権を握る会社であったことを。