きりのPFCSログ

企画「PFCS」のログです。

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【我が音色は律に非ず】 05 - 摩天楼の陰影

第五話


「黒燕様、いささかあの青年に対しやり過ぎかと……」
「そん通りです、貴方おまんさぁも加減を知ってくいやい。」
 光沢のある青い服の袁姓サターニアと、黒服を身に纏った朱姓アルビダの妖が黒燕に苦言を漏らしていた。此処は心城に聳える摩天楼の一角、マフィア蠱幇の本拠地であった。漆塗りの深い紅色の長椅子や黒塗りの革製ソファに彼らは座り、洗練されたデザインの黒を基調としたガラステーブルには迅律の書類が置かれていた。例の契約から2週間経過した。暖色の照明で部屋は照らされていたが、彼らの所業は宵の闇よりも暗い。
邪剛シェガン威忌ウェイジー。彼について、君たちも無知ではないだろう」
 さして気にしても居ないような、笑みを漏らして黒燕は笑う。名指しで呼ばれた彼らはマフィアの幹部であった。
「梁帝の管轄下にある第2級官吏の息子……そして長男です」
 赤毛と黒い結膜――即ちサターニアの邪剛が、冷静に答える。
「そそ、所謂皇室御用達公務員、もちっと言えばエリートの血脈じゃろ?」
 金髪で薄い肌と瞳を持つ――アルビダの特徴を持つ威忌が、男に尋ねる。
「その通り。僕は彼の魅力を最大限活かして、蠱幇の力を強くしようと投資しているだけなんだよ。」
 黒燕が窓を見やる。高層ビルからの夜景は美しく、恐ろしい。
じゃっどんしかし、まだ実力も分からんのに家までやる必要はないじゃろ」
「僕に歯向かうつもりかな」
 威忌の行き過ぎた忠告に、黒燕は薄目を開眼し脅した。彼には似合わぬ美しい空色が光を拾う。その不釣り合いな瞳がマフィアの幹部相手だとしても、恐怖を煽るのだ。首を一生懸命横に振る威忌に対し、黒燕は気を取り直し平常の顔で窓を見ながら、2人に尋ねた。
「君たちには言わなかったかな?あの子には皇族の血が入っている。誰だと思う?」
 幹部は分からない、と顔で示した。彼は微笑んで答える。
「調べたらね……迅律くんの血筋は、5代梁帝の分家ってことが判明してね。彼の父が1級の官吏になれないのは前代の失態故だそうだ。それでも……否、だからこそ僕は彼を臥龍と見込んだのさ。」
「黒燕様、つまり、それは……!」
 邪剛は禁忌を侵そうとしている彼の思惑に、身震いをした。
「ふふ、美しい純白の布に、泥を吹っかけるのは楽しいだろう?」
 そして黒燕は狂気じみた高笑いをした。この男は、欲望の為に禁忌の域とされる血脈をも汚そうとしていたのだ。

「帝に妖なる我等に、人の心がありとせば……」
 彼は嗤う。野望に、この国に。
「ふふ、僕らはどこまで狂えるかな」
 夜景は、人のごうの光を写す。其れはとても明るい。だが、それを見下す此奴こやつの心の内は――

「『邸の庭を駆け遊びし 幼き二人の記憶にあらむや』、さて、意味はわかるかな?」
 一方此処は駅前の学習塾。知を尊ぶ俗世間の銜尾蛇には、高い学歴を良しとしていた風潮があったのだ。故に学府進学の競争率も高かった。其処には親に無理やり入れられ、わかりませんとすぐ諦める学生に対し、丁寧に教える塾講師の迅律の姿があった。所謂散工アルバイトである。なけなしの金で買った黒い一套スーツも様になっていて、それなりに馴染んでいた様である。
「しかし古典にこんな文章本当に出していいのか?」
 文章は、例の禁書の一部であった。足組みをしながら問題集を片手に座っていた迅律は、生徒に尋ねる。
「迅センセー、これ10年前の試験にも出てたよ」
「先生たまに天然だよね」
 生徒たちが好き放題言うので困っていたところ、横槍を入れたのは隣で指導していた女の先輩であった。
「その記憶力を学業に活かしなさいよ」
「はは、梔花センセー容赦ねえ」
 王 梔花ワン・ジーファ。美人ではあるが棘の見られる、迅律より2つ上の聡明な女性であった。王姓の名が差す様に、彼女には金髪の間から3つの赤い角が生えていた。つまり鬼である。まだ最高学府に勤めていた彼女だが、その賢明さは片鱗を見せていた。はいはい、とやる気のない生徒達に、彼ら彼女らは指導を続けていた。時計は9時前、銜尾蛇の夜は長かった。あと少しだから、頑張ろうと迅律は励ます。彼の書いた美しい字で書かれた板書を書き写し終え、ノートを閉じた生徒たちは挨拶をして帰っていく。教室が講師2人になったところで、梔花が口を開く。
「皇帝の反逆なんて、外国では有りがちだと思うけど、随分厳格な家庭で育ったのね。でも最高学府には出てないんでしょう?」
身元をぼかした迅律は、痛いところを突かれたのを嫌がるように返す。
「俺の過去は探らないで下さい」
「悪かったわ。どうして無学といえる経歴なのに、……否、音楽の専門学校に通っていることをバカにしてるわけじゃないんだけど……貴方はそこまで叡智に富んでいるのかしら、と思って。」
 迅律は、ワイシャツのボタンを上から2つ外した梔花がよく生徒の性欲を煽らなかったな、と胸を見ながらぼんやり思っていた。見透かされて咎められる。
「年頃の男の子なのにね」
「俺もおかしいと思っています」
 それが何か、は言わない。
「そうそう、生徒が真似しちゃうわよ、その髪型」
「その服装で言われても。それに真似したくても維持が大変ですよ?」
 話題を変えた梔花に、迅律は笑って返す。彼は青髪を段階的に染めて、右側が紫色になるような染色をしていた。左側は玉蜀黍とうもろこしの髭のように、柔らかい毛が垂れている。街中の美容師に勧められた不思議な髪型だが本人も気に入ってしまったのだ。其れは音楽家に憧れる者が妙な髪型にし、個性を表すというのもあるだろう。
「貴方のような変人が塾講師なんて塞翁が馬だわ」
「俺の夢のために、俺の後輩の夢を叶えてあげるのは良いことでしょう」
 希望の見える台詞に裏はない。迅律は笑っていた。それは、平民の幸せに最も近いかたちだ。

 なぜここまで朗らかに会話が出来ていたのか。理由は簡単だ、彼はまだ、黒燕のことは話していなかったのだ。尤も、もし明かす機会があったとしても、梔花に対し二度と真実を言える立場にはなっていないだろう……。