きりのPFCSログ

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【我が音色は律に非ず】 06 - 泣き虫臥龍とずぶ濡れ鳳雛

第六話


 彼の才は本物だった。旋律を紡ぎ、拍を鳴らす能は他の学生よりも秀でていた。携わる講師も、焦りを感じるほどに迅律の作る音色は美しかった。いにしえの理論とはいえ音楽の基礎を徹底した彼は、最新の機器でも慣れてさえしまえば無敵、といっても過言ではなかったが、彼は驕らなかった。学業とアルバイトと両立させながら隙を見せることもなく、音で飯を食っていくだけの技量を磨いていったのだ。
「迅律、お前曲をネットに上げないの?」
 同級生の提案に、迅律は首を横に振る。黒燕との約束で、専門学校を卒業するまでは互聯網インターネットでの宣伝活動を禁じられていたのだ。社則は従うのが常と、迅律も厳格に守っていた。
「勿体ねえな、絶対神曲って評価されるのに」
「神に対し冒涜的な曲は作りたくないな」
「信じるような人間に見えねえけど」
 彼は友人に皮肉を返される。否、社会に出れば商売敵になる仲間だ、平然と裏切っても当たり前であろう。迅律に同じ志を目指す仲間はいたが、それが友情へと昇華することはなかった。彼は優秀故に、孤独だったのだ。彼は自分の才能を嫌っていたわけではない、寧ろ好いていた。されど幸せかといえば、分からない。耳に入ってくる講師の見聞は新鮮であったが、騒音と化した同級生の彼に対する僻んだ声は、迅律をひどく孤立させた。
「黒燕さん、俺、」
 遂に学校の人間関係に耐えられなくなった迅律は、授業の帰りに喫茶店にて端末の通信機能で、黒燕に話した。このままでいいのかという問を、彼は優しくそして容赦なく叩き落とす。
「嫉妬されるほど寂しいのは、君が素晴らしいからだよ」
 褒めてくれた、励ましてくれた。然し黒燕のオフィスから聞こえてきた声は、氷柱のように鋭い。
「それにこのままで良いのかと言われても、君がこうしたかったんだろう?僕は君の親じゃない。自分の責任は自分で負え」
 迅律は返す言葉を失っていた。黒燕に招かれた時とは明らかに、態度が違っていたのだ。然し、正論ではどう太刀打ちすることも出来ない。悲しいかな、彼の心からの味方は、もう既にいないのだ。

 銜尾蛇は全面的に雨の陽気、其の暗い空は傘を差して意気消沈した迅律の心を写すかのように陰鬱であった。家への帰り道を、彼は俯いて歩く。アルバイトが休みであったのが幸いであった。路地裏を通る。此のまま泣いてしまっても、雨粒に紛れて分からないだろうと自嘲しそうになったところ、人影を発見する。傘も無く、襤褸ぼろきれを見に包んでうずくまって寒さを堪えていた少年。乞食であるのか、近くの空き缶には少量の銭が入っていた。しかし電子通貨が主流の今、小銭では無人便利店コンビニですら使えない場合もある。競争社会による発展が銜尾蛇の光としたら、彼らのような超貧困層は此の国の闇だ。多くの人間は、彼らを無視した。弱者を救済する、経済的余裕も精神的余裕もないのだ。故に貧民の子供が野垂れ死のうと、塵として処分されるか鴉の餌になるしか、道は無いのだ。だが、治世を求めた帝の熱い血を引く迅律が、その世界を認める筈もなく。彼は身を屈めると、少年に触れようと手を伸ばした。
「おい、大丈夫か」
 がたがたと震える少年は、その好意を跳ね除ける。
「さわるな!」
 びり、と電気の通る感覚が迅律を襲う。土や埃や殴打の傷に汚れた肌の中、揺れる翡翠色の目。少年の左目の周りには、よくみると入れ墨のような朱色の文様が書かれていた。人間に強い異能を授ける際に、このような紋を刻むことがあると迅律は知っていた。銜尾蛇では雷撃を信仰している故、人間が扱う魔法も雷属性の魔法である。よって、自衛の為に電撃を扱える人間も存在するのだ。此の子はただの乞食ではないと確信する。
「食う積りも殺す積りもない。大丈夫かと言っている。」
 布から濡れた茶髪が覗く。
「嘘だ!アスラーンのばけもの!」
 少年が声を荒げて言い放つ。迅律は平時なら其のような事を言うな、と説教口調で返したところであったが。
「そうか。俺は、たしかに、ばけものだ。」
 傘から覗く赤い目が、浸した水に揺らぐ。迅律の積もった感情が、涙になって溢れていた。
「は、はぁ?何泣いてるんだよテメー」
 少年は怪訝な顔をして迅律の方を覗いた。片手で涙を拭うと、そうだな、と無理をして迅律は笑う。
「すまない、取り乱した。……しかしこんなところでうずくまっていたら寒さで死んでしまうぞ。家は?頼れる人は居ないのか?」
「ったく、ほんとチョーシ狂うなテメー。オレはいーんだよ。どうせ死ぬんだ」
 全てを諦めたかのように、少年は自暴自棄に返す。最早年頃の男子の台詞でも、表情でもない。
「良い訳がないだろう」
 だが、迅律の正義感に少しだけ緊張が和らいでいた。
「じゃあ、金寄越せ。飯でも構わねえからよ」
 こんなに純粋な青年を知らない、と思いつつも少年は厚かましく請求した。ケタケタと笑いながら言えば、偽善者なら怒って突っ返すだろうとも見込んでいたが、彼の意外な返答に少年は目を見開いた。
「構わん。俺が保護してやる。だからそういうがめつい、夢のないことを言うんじゃない。もっとお前のような子供は夢を見ていい筈だろう」
 それは、誰に向けた台詞なのか。傘を差し出し、立てるかと尋ねた。
「テメー、オレをガキ扱いするんじゃねえよ、夢見たら死んじまう人間にそれ言うかよ?……まぁいいや、恩に着るぜ。でも、ぜってーなんか企んでるって見通してるからな。」
 少年は、相変わらず疑ってかかったままだったが、立ち上がり彼についていくことを決めた。こんなオレと一緒に歩いて恥ずかしくないのか、と尋ねても、俺はもっと大恥をかくようなことをしてきたからな、と自嘲する迅律の姿があった。少年はそれ以上言及しなかった。

「そうだ、俺は梁 迅律。お前の名前は」
 迅律の家の前まで到着し、鍵を開けながら彼は尋ねる。
「名前なんてねぇよ、あったとしても多分、この国の名前じゃない」
「……そうか」
 一瞬複雑な顔をしたが、すぐに迅律は笑顔で提案する。
「俺が名付け親になろうか?」
「バカじゃねえの」
 其れを見た少年も、少し朗らかさを取り戻していた、かもしれない。

 此の名もなき少年と孤独な青年が、後に大きな影響を与えていくとは、当時は誰も知らなかった。