きりのPFCSログ

企画「PFCS」のログです。

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【我が音色は律に非ず】 07 - 月下双酌

第七話

 玄関を上がると、ふたりともずぶ濡れであった。風邪をひくから湯を浴びるぞと、迅律は少年を引っ張る。意外と体重があるのかそれとも抵抗しているのか、想像以上に力を入れなければならなかった。
「何だ、そんなに嫌がって。実は女で裸を見せられたくないとか」
「ねーよ!」
 お前の横暴な態度が気に食わないだけだと顔を膨らませて威嚇する少年に、迅律はからからと笑った。
「悪いな、部屋を汚されたら堪らないから」
 然し、襤褸ぼろい布を剥ぎ取り真っ裸になった少年を見た途端彼の顔から笑顔が消える。
「おい、この傷……」
「だから見せたくなかったんだよ!」
 全身傷だらけ痣だらけ、更に泥だらけの痛々しくやせ細った肉体。無傷で均整の取れた肉付きの良い迅律の身体と比較するのは酷であった。
「悪いことをした。先に湯を使え。」
迅律は自身の水気を拭き上半身裸のまま、2人前のレトルトパウチを水で満たした鍋に投入し、電気式焜炉こんろを着けた。同時に微波炉電子レンジに専用の米をセットする。定時器タイマーをセットし、前に便利店コンビニで貰ってきた彼用の箸、それと皿を用意しながら夕餉ゆうげの支度を整えていた。

「あったかい」
 少年が最後に湯を浴びたのは記憶にない。いつも夕暮れの降雨で水浴びをしていたからだ。石鹸も香波シャンプーもあるが、彼には理解できなかった。
「迅律、なにこれ?」
 浴室の扉を開けて少年が尋ねる。迅律は顔を覗かせ返答した。
「年下に呼び捨てとはな。それは身体を洗うものだ。あとそっちの香波は髪の毛を洗う液体。」
「ふうん。……"かんろく"がないんじゃない、わっ!水ぶっかけんなよ!」
 蛇口を捻り迅律は容赦なく湯の温度を一気に下げる。暴れる生意気な少年に対し言葉には気をつけろと諭しながら、彼は鍋の様子を見るために台所へ戻った。
「なんかいいにおいする!」
 彼がもう一度振り向くと石鹸で泡まみれになった少年が喜んでいたのが見えた。途中傷にしみたのか苦い顔をしていたが、概ね満足しているようだ。
「食うなよ」
「食わねーよ、ガキ扱いすんな」
 まだパウチは開けていないし、匂いの原因が考えられるとしたら石鹸に対して言っていると察した彼は釘を刺した。流石に子供扱いされて怒ったのか、むすっとした顔を少年はもう一度した。

「すげー気持ちよかった!」
 巾で身体を拭きながら、綺麗になった少年は裸のまま部屋を出る。普通の銜尾蛇人よりも白い肌が浮き彫りになった。そうだ、と迅律は思い出す。彼の背丈にあった服など、ここにあるはずもないのだ。
「君が着れるものはないな……」
「いーよ。腰に布でも巻いておけば問題ないだろ」
 助かる、今晩はそれで許せ、と迅律は謝ってから少年を椅子に座らせた。レトルトの米と具材で作った簡単な飯であったが、五目野菜を餡で閉じた温かい燴飯フイファンの湯気と香りは、彼らの食欲を刺激した。
「食っていい?」
 待てを我慢出来ない犬の様に、少年は目を輝かせた。
「手を合わせてな」
 一方礼儀正しい躾を過去になされた迅律は、苦笑いして咎めた。少年は手を合わせたのも一瞬、下手くそな箸使いで飯を一気に掻き込んだ。
「うめぇ」
「そう焦らなくても誰も奪わないから安心しろ。冷めなきゃレトルトも行けるものさ、取り分けこういう寒い日は」
 喜んで食べる彼を見て、迅律も箸を動かす。茸や菜、肉や魚介の旨味が既製品とはいえ染み込んでいて、決して不味くはない。少なくとも、独りで食べる飯よりずっと旨い。彼はそう感じた。そうだ、と忘れかけていたことを迅律は思い出し、尋ねる。
「思い出した、君の名前は何だい。覚えている範囲でいい」
一気に頬張り、咀嚼から飲み込んだ後、えーっと、と箸の動きを止めて考える少年。
「名前はわかんねぇけど、名字は確か、Rejsekレイセク……」
聞きなれない名字が、迅律の耳に届く。
「西方の生まれか」
「西ってどっちかわかんねえけど、多分親父の肌はもっと白かった」
 学無き彼なりに、自分の生い立ちを考察する少年。それに代わる名前を、一緒に考える迅律。
「それではここの人に伝えづらいから、レイ。いかづちのレイにしよう。」
 どうだ、と出会った時の異能になぞらえて提案する迅律。カッコつけるなよ、と少年は返すが、気に入ったらしく上機嫌だ。
「じゃあ名前!」
「おいおい、咄嗟に決められるものじゃないだろう?」
 帰る前とは打って変わり、身を乗り出して名前を授かるのに期待する少年。腕を組んで迅律は考える。唸る彼は時折飯を口に運びながら、過去の記憶から故事成語を引き出し、様々な候補を上げた。然し少年の心には響かぬらしく、直ぐに却下される。
「雷……雷なんだよな……」
 まだ閉めていないブラインドからは、曇りに隠れた月が覗く。雨は上がっていたようだ。瞬間、彼の靈机インスピレーションが閃光を伴って湧いた。月に雷、と来れば。
「陽炎稲妻水の月……!」
 咄嗟に出た慣用句の意味を知らない少年は、首を傾げる。迅律は笑顔で答えた。
「陽炎の意味を持つ、遊糸ヨウミーはどうだ」
「かげろう?」
 少年は分からない、と質問する。
「熱によって光が揺らぐ現象だ」
「かっこいい!オレそれがいい!」
 答を聞き喜ぶ少年、否、遊糸。決まったな、と目を細めて笑う迅律。窓の月は白く丸く、そして暖かく彼らを照らしていた。
「それと、今度から俺のことは迅兄と敬えよ」
「へーい」
 相変わらず釘を差す「兄」を、見守りながら。