きりのPFCSログ

企画「PFCS」のログです。

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【我が音色は律に非ず】 09 - 擡げる蛇頭

第九話
閲覧注意、若干の男女の性描写あります


「黒燕様、どうなさいましたか?お体が優れないようで」
 暗晦あんかいとばりの中、長髪で端麗な体型の梁姓アスラーンの女がベッドに座る黒燕に後ろから覆いかぶさる様に、裸で抱きついていた。ここは黒燕の寝室、彼が女を抱く以外には誰も入れぬ禁忌なる地、といえる場所だ。
「考え事だよ。君が気にすることでもない」
「黒燕様ったら。私を抱いている時もあの"蝶"のことが気になって仕方なかったのでしょう」
 女に全て見透かされた黒燕は、残念そうに笑う。
厲伏リーフには全てお見通しだな」
「私の前で秘密を隠せるとでもお思いですか?」
 黒燕の方へ身体を向けると妖艶な笑みを浮かべて腕を彼の首に絡め、甘えた仕草をする厲伏……蠱幇幹部の紅一点、梁 厲伏リャン・リーフ、その女に隠し事は出来ない。彼女の手管が、呪詛が其れを暴くのだ。声を上げて笑う黒燕が、本音を口にした。
「それもそうだったね。君にはお手上げだ。……"蝶"に"友達"が出来てしまって気にかかっていたのさ。客観視できる外部の人間を作られると、洗脳がうまくいかない。」
 部下からの情報により、蝶――即ち迅律を差す其れ――が、遊糸を匿っていることは黒燕にも割れていた。保護から1ヶ月も経過していないのに、だ。彼の考えていた計画を阻止されたのか、困惑を隠せない表情をする。
「幾ら高尚な血の人間を逃したところで、黒燕様の威厳に傷つくことはありませんわ。」
 そんな彼をフォローするように、厲伏は彼を宥める。しかし彼の機嫌は優れない。
「僕のことを何よりも理解してくれている君だと思ったんだけどなあ」
 彼女の腰を撫でながら、黒燕は難しい顔を保つ。
「貴方のお気持ちを察せない私をお許し下さい。しかしながら……僭越ですが、それならば貴方の美しい瞳を用いれば容易いのでは」
 厲伏が彼の額に触れる。此のような苦言や、無礼が許されるのは彼女の立場が相当であることを意味していた。そして黒燕が常にしている包帯は取れていた。
「それもそうだけど」
 詰まり謝姓サムサールの呪縛は解放されていたのだ。瞳の呪縛に縛られた彼女は、そのまま唇を彼の唇に合わせ、ゆるりと、まどろっこしい接吻をした。女の甘い香水の匂いがより立ち込める。
「それは禁じ手だから、ね。」
 顔を離してからアスラーンの尖った耳に近づいて、黒燕は、低く囁いた。

「お待たせしました、掛納麺ガーナミェンっす」
 頼んだ客のテーブルに真っ赤な麺料理が湯気を上げて置かれる。翌日の昼下がり、黒いエプロンをした遊糸は食堂で散工アルバイトをしていた。物覚えがそれなりに良かったので店長からもそれなりに認めてもらっていた。計算は下手でも、自動精算機があるから問題ない。文明の利器を最大限甘んじて遊糸は料理を運んでいた。
「あんちゃん、青椒肉絲チンジャオロースひとつ」
「小籠包ください」
「かしこまりましたぁ!」
 あちらこちらから聞こえてくる注文を、他の先輩に任せつつも要領よく遊糸は承る。乞食の性か生き延びる技術が皮肉にも発揮されていた。この時間は取り分けて忙しく、素人では目が回ってしまうような騒ぎなのだ。食器や調理器具の陶器や金属がぶつかる音が鳴り響き、店内の音楽をかき消す。湯気と人の熱気と、銜尾蛇の蒸し暑さはなけなしの冷房も無効にする。暑いと呻く暇もなく、彼は足を手を動かす。重い器を運ぶためか、最初の内は筋肉痛で悩んでいたようだが徐々に回復していった。
「うー、つかれたー」
「お疲れさん、遊ちゃん」
先輩に労いの言葉を掛けてもらいながら、遊糸は一段落付いた食堂の裏で膝に手を当てて一呼吸していた。大変だが、これは自分の「作曲のための資金繰り」という目標の為だ。乞食の時代は生きるための金のことしか考えていなかった。だが今は違う。"迅兄"に拾われ、夢を見る余裕が生まれた。働く為に必要な帰る家がある、という環境の変化は余りにも大きかった。そして、其れは迅律にとっても絶大な影響を与えたのであった。

「おめでとう。今回の曲の評価は首位、其の上最高得点ときたよ、迅律くん」
 彼の目は輝いていた。学校内での作曲が彼の過去で最高の評価を叩き出す。"弟子"の遊糸から読み取ったミキシングやマスタリングのセンスを基に、迅律は彼なりの答えを出していたのだ。
「ありがとうございます」
 思わず伝統的に拱手きょうしゅの型を取る迅律。畏まりすぎじゃないかと先生に言われたが、迅律は気にせず感謝の念を示す。周りの仲間達も、その曲の凄まじさに恐れるほどであった。嫉妬する人間も増えたであろう。しかし、今は孤独ではない。
「すごいな、迅律」
 尊敬の念を抱く仲間が、そして遊糸という立派な弟分がいる。もう独りじゃない、だからこそ、曲を紡げる。家出青年は大きく飛躍した。飛び級を認められ、プロへの道も近いと確信したのだ。

 此れはきっと黒燕も望んだことであるから報告しようと、放課後に早速迅律は端末で電話をかける。
「黒燕さん、やりました」
 自室で上機嫌な声で話す迅律。然し黒燕の声は棘のように鋭い。
「……喜ばしいことだ。だが迅律くん。それどころではないだろう。君は何てことをしてくれたのかね。」
 迅律は自分を評価してくれない黒燕に戸惑い、その原因が何のことか分からず尋ねる。
「乞食を匿うとは面倒なことをしてくれたじゃないか。今直ぐ手放せ。」
「何故それを……、まず、如何どうしてそんな事を仰るのですか」
「勝手に行動されると困るんだよ。その小僧が」
 今までの筋だと、誰だと聞くまでもなかった。遊糸を小僧呼ばわりされ憤怒しつつも、其れを押さえて反論する。
「貴方は俺の雇い主。それ以上の関係はありません。遊糸は関係ないでしょう!」
「恩を売っておいてそれか。全く手間のかかる子だねえ」
 黒燕は呆れた……そして、どす黒く悍ましい怒りを潜めて嘆く。
「今回は、貴方の命は承れません」
 だが迅律は、強く拒否の意志を示した。其れがいけなかった。遂に黒燕が本性を表したのだ。
「そうか。掟に背く積りか」
 今まで聞いたことのない、マフィアとしての彼の声。そう、意味することは。

「一つ教えてあげよう。迅律くん、一般的に死に至る毒は、人間の基礎的な機能を破壊する仕組みなんだ。僕が何を言いたいかは、僕よりも君の方が語れるかもしれないね。そのうちにね。」