きりのPFCSログ

企画「PFCS」のログです。

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【我が音色は律に非ず】 10 - 毒牙の初撃

第十話


 事件は、数ヶ月後に遊糸のアルバイト帰りの途中に起きた。
「おいおい、そこのあんちゃん!」
 呼び止められたのは、給料を貰い浮かれていた遊糸が、遊戯中心ゲームセンターで少し遊んでから迅律の部屋に帰る際通った、人気のない路地裏であった。咄嗟に振り向く彼に待ち受けていたのは、銃口を突きつけられた事による衝撃であった。
「悪いが、死んでもらおうじゃないか。」
 ケタケタと笑う男。拳銃を持っている時点で、普通の……真社会の人間ではない。
「何でそうなるんだよ!死んでたまるか!」
 辛うじて出た叫びを皮切りに、走って逃げ出す遊糸。手から発する電撃を護身のために応用することは可能である。しかし、今の精神状態ではとても操ることは出来ない。今できることは、この環境から一刻も早く脱出することしかなかったのだ。幸い、もともと運動神経はよかった遊糸だ、逃げ足は早かった。
「あのガキを追えぇ」
 追っかけてくる男が仲間を引き連れてきた。舌打ちをして何でだよ、と罵声を飛ばしながら遊糸は逃げ続けた。角を曲がり、障害物をくぐり抜け、必死に迅律の家へと向かう。だが多勢に無勢であった。
「挟み撃ちだぁ!」
 逃げ道の方向にも男の仲間を見つけ、向けられた銃口に怯え……絶体絶命の遊糸。人というものは、人を殺す道具を目の前に突きつけられると動けなくなるものだ。彼は、死を悟るしかなかった。でも此処で死にたくない、という思いも強く。もうダメだ、と言う積りはなかった、それでも状況はそうだ。そして葛藤に悩む時間は、無かった。間一髪であったのだが、
「ひ、ひぇえ!何故お前が……」
 たじろぐリーダー格の男の足には青白く光る苦無が刺さっていた。血が流れるほど深く刺さっていたからかなのか、それとも光っている物質の影響かは分からないが、男は動けないまま空を睨みつけていた。遊糸も思わず、男の視線を追った。
「掟を破り、私利に突き進んだ人間に価値はない。殺すのも面倒だ、そこで足掻け。」
 くそう、と悪態をつく男の視線の先にいたのは、胸筋の丈まである青緑の光沢のある服を着て、耳のあたりから一対の角を生やした派手な身なりの袁姓サターニアであった。この姿で気づかなかったとは、余程気配を消す技術があるということか。
「たすかった」
 逃げ出す仲間たちを見ながら、膝に手をつきため息を漏らした遊糸。地獄に仏とはこのことか、お礼を言おうとした其の時であった。
「君が遊糸君か。命拾いしたな。……だが呉々くれぐれも、猶予がある内に人生を謳歌しておけ。」
音もなく一瞬で遊糸の目の前に現れた男。
「えっ、ちょっとまっ」
言葉を遮る様に彼は腕を動かした。青く光る苦無の先端が、遊糸の首の寸前で止まる。息を呑む遊糸。
「黒燕様からの伝言だ」
 口元が服で覆われていたため、サターニアの男の表情は理解できなかった。然し、遊糸は感じた。此奴は味方ではない、と。先程の男以上に、背筋が凍る思いをした。男は再び音もなく去ったが、暫く遊糸は動けないままでいた。

 休憩中に携帯端末の通信アプリケーションを通じて遊糸の情報を知った迅律の顔から血の気が引いた。黒燕は、一体何をしたいのだろうか。自分を一流の音楽家にしてくれる筈では無かったのか。混乱する頭で塾生徒の指導が出来るはずもなく。
「迅センセー、顔色わりーよ。大丈夫?」
「あ、嗚呼。すまないね。ええと、問2のどれだっけ……」
 様子のおかしさに梔花も気づき、その問題が解き終わったら水でも飲みに行って、と指示をした。
「すいません、急に」
 休憩室で謝る迅律、精神的ショックを隠せない顔を見抜かれていた。
「一体どうしたの、今までにないショックを受けている様に見えるわ」
「あ、あの、」
 遊糸との間柄を説明できないので、適当に逸らかす彼。
「友達が事件に巻き込まれたって」
「一大事じゃない、一体どんな事件なの」
 詳細はあまり話せない、と質問する梔花に対し迅律は事実を暈した。
「……分かった。あまり探らないようにするけど、気をつけて。最近はマフィアが活発に動いていると聞くわ。」
 話を続ける梔花。
「最高学府で習ったの。今は此の国に蠱幇グーバンというマフィアが蔓延っていて、世界的に脅威となっている、とね。私は外交官になりたくてその学科に入って勉強しているんだけど、マフィアは世界情勢に悪い影響を与えていて、銜尾蛇上の芸能界にもダメージを与えているというのよ。貴方も芸能関係の仕事に就きたがっているから、無知ではないと思うけど。」
 蠱幇については無知であったが、迅律はこれ以上聞いてはいけない、と本能的に察していた。だが彼女は言葉を紡ぎ続ける。
「蠱幇のアンダーボス"謝 黒燕"が暗躍しているとの話を聞くけど、決定的な証拠が見つからずレーベル会社の会長をしている、という事実しか判明していないから、一体何を仕出かしているかは分からないのよ。ただ……不審死をしているアーティストの中には、彼の部下が手にかけた可能性が高い、という噂が絶えないの。勿論、証拠は完全に隠滅されているけれど。」
 迅律の身体が凍るように痺れる。心拍が速い。まさか彼女の口から、黒燕の名前が出るとは思わなかったからだ。
「大丈夫?ごめんなさい。貴方のご友人だから、もしかして芸能関係なのでは、と推察したまでなの。……此のままでは仕事もままならないでしょう、今日は早めに帰った方がいいわ」
 迅律も承諾し、早退の許可を責任者に言うと、彼は早足で自分の部屋へと戻った。周りの景色も碌に覚えていなかったので時間も分からなかった。ただ、暗い空であった。
「無事だったか!」
 扉を開ける。電気のついていない、闇に包まれた部屋。その奥で彼が目にしたのは、身を屈めて怯えていた遊糸。目立つ外傷はなかったが、普段の快活な彼とは明らかに様子が違っていた。泣いた痕も見受けられる。
「なぁ、迅律」
 がたがたと震えながら、彼は迅律に尋ねる。
「……テメーの背後に、誰が居る?」
 答えられぬ迅律。聞いてはいけない質問であることを、遊糸は知らなかった。