きりのPFCSログ

企画「PFCS」のログです。

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【我が音色は律に非ず】 11 - 泥を生きる一輪の蓮

第十一話


「なぁ迅兄。抜け出すって選択肢はないのか?」
「俺はあの人から恩を買っている、契約を破棄することはできない」
 迅律は、難しい顔をしていた。

 黒燕と契約していること、学校の卒業まではプロとして認められないこと、そして梔花から聞いた黒燕の暗躍、全てを打ち明けた迅律。遊糸は戸惑った。そして、其の事を打ち明けていなかった迅律に腹を立てた。
「どうしてそれを、言ってくれなかったんだ」
「其れを言ってしまえば、俺はどうなるかわからない、怖かったんだ。」
 彼は恐怖と自分の不甲斐なさに震えていた。其れでも遊糸の怒りは、収まろうとしない。
「迅律。オレはまだ、そこまで」
 信用できない人間か。紡ぐ言葉の鋭さを、彼は知らない。
「……ならば、解決案を出せるのか、遊糸」
「んな、突然に言われても……」
「其れでは打ち明けたところで、不利益な情報が拡散されるだけだろう。それに、」
 迅律は膨大な重荷を抱えていた。困境ジレンマに揺れていた。夢を実現する黒を取るか、正義の白を取るか。
「自分の尻拭いは自分でしたいんだ、俺は」
 そしてその判断を、最後まで受け入れられるか。
「そんなこと言ったって、迅兄。それで周りや自分を潰したらどうするつもりなんだ!」
 だがその判断が身勝手であることは、先程の遊糸の事例が語っている。口を噤む迅律。暗い部屋は、あたかも牢獄の様に2人を閉じ込める。しばらくして、迅律のイヤーカフ型受信機から黒燕の声が入った。
「調子はどうかね、迅律君。しかして不調かね?」
 其れは娑婆しゃばを嗤う、
「然し、あと少しで学校も卒業出来るし、一流の音楽家になれる。僕の元を離れなければね。だから辛抱するんだよ?……その邪魔な小僧を置いて此方に来なさい」
 毒蛇の聲。
「……遊糸」
「迅兄、大丈夫か」
 立ち尽くし、呼吸の乱れる迅律を不安視する遊糸。
「逃げろ」
 必死に発した迅律の声は恐怖に震えていた。
「逃げるんだ」
 彼の鋭い聴覚は把握していた。遠くで銃の発砲音が聞こえることを。
「逃げろって、何処に行けばいいんだよ!」
 遊糸は乱暴に言い放った。答えはない。代わりに、階段を登る複数の足音が近づいていた。
「すまない、許してくれ、許してくれ……!」
 迅律はただ、懺悔することしか出来なかった。恐らく、自分は逃げなければ死ぬ。遊糸は悟り、自分の電子端末を持ち部屋から走って出ていった。
「威忌様、例の子供です」
「放っておけ。わろを殺す事が目的ではなか。」
 5階の廊下を歩くは蠱幇の幹部、威忌とその部下たちであった。奔走する遊糸には目もくれず、彼らは鍵の開いていた迅律の部屋を乱暴に開けた。
「おい、新入り」
迅律は振り向く。彼にとっては初めてみた顔だが、男がどういう存在の者かは気配で察した。
むけめに来たぞ」

 銜尾蛇の闇の深さを、最貧困層出身の遊糸が知らぬ訳がない。迅律から別れたこの先に生きる道など無いと、断言ができるであろう。彼は迅律に対し、裏切られた怒りと捨てられた悲しみ、そして夢の為に堕落する覚悟を決めたことへの同情の念を抱いていた。然し、命の恩人である彼に対し、彼の選択を頑なに否定することは出来ないと感じてもいた。海の向こうの故郷へ逃げた、自分を捨てた父親よりもずっと信頼できる人間であった迅律、其れは遊糸にとって間違いなく師であり兄であった。其の彼が、自分のせいで窮地に立たされたのだ。こうなって当然だ、と遊糸は苦しい現実を受け止めようとした。また振り出しに戻ったな、13年命が持っただけマシか、と自嘲しながら彼は宛もなくネオンサインの街を歩いていった。
「お腹すいた」
 思えば、マフィアに追われてから何も食べていない。金はまだ電子通貨の残高が有る。腹を満たして少しでも元気になろうと遊糸は食堂へ向かった。油っぽい店内の匂いでバイト先の事を思い出し、今後のことをどう言い訳するか一瞬悩んだが……今は其れどころではないと、食券を購入しテーブルへと向かった。カウンター席は様々な人や妖怪で溢れていた。待っている間隣にいたのは、黒と緑のドレッドヘアと、脚が欠失……否、もともと無いのだろう。手も脚も左目も、機械と化していたその身体が特徴的な姜姓アルファの男だった。他国と比べ近未来的な風貌の銜尾蛇だが、アルファは新しい種族の為意外と少ないのだ。然し遊糸が物珍しく見ていた理由は、男が珍妙な種族だっただけではなく……
「響龍の監測耳机モニタリングヘッドホン!」
 彼の身につけていた"機材"が、遊糸にとって馴染みの深いものだったのだ。思わず声を出してしまいすいません、と謝ろうとするのを遮られる。
「アンタ、イイ目してるね」
 アルファのドレッド頭は牛肉麺を啜るのを止め、フードを外した遊糸をまじまじと見つめた。
「お宅、同業者かい」
「……かどうかはわかんねぇけど、曲作ってるよ」
 海鮮焼きそばの皿が遊糸の前に出される。海産物とソースの香りと湯気が立つ中、其のアルファと話を続けていた。
「成程。ネットには上げてる?」
 男は興味津々で麺を啜る遊糸に話しかけていた。折角話題に乗ってくれた人だ。遊糸は端末を操作し、自作の曲を彼に聞かせてみる。彼は迅律とは違い、勝手にインターネット上にアップロードしても問題なかったのだ。ドレッド頭はヘッドホンを遊糸の端末に接続し、試聴する。
「こんな、もんだけど」
 恥ずかしそうに、遊糸は笑う。対して、
「……キミ、ホントに"こんなもん"って言い切る気か?明らかに趣味の範疇以上だ。プロだろ?」
 ドレッド頭は驚愕していた。こんな少年が、こんな曲を。
「お下がりの機材で作った奴だけどね。」
 悲劇の直後もあり、素直に褒められて嬉しかったのか、遊糸は微笑んでいた。
「こういう才能って親は認めてくれないことが多いけど、曲で商売出来るぐらいには才能あるよ。自信持って」
 ドレッド頭は励ました積りであったが、遊糸に触れてはいけない単語を出したことに気づかなかった。
「親?」
 途端に遊糸の表情が曇る。
「そんなもの、いねえよ」
 何かを察したドレッド頭は、牛肉麺を平らげてある提案をした。
「……俺っちのクラブにおいでよ。話はそこで聞こう。俺っちはフェイ。ジャンフェイっていうんだ。」
ナイトクラブ、その世界が"奴"の領域であることを本能的に察した遊糸は口に出してしまう。
「……もしや、お前も黒燕の手下……」
 シッと人差し指を唇に合わせ其れ以上言うなジェスチャーを送ってから、とあー、とため息をつく菲。
「なんだか面倒くせえ状態になってるみたいだな、ショーネン。大丈夫俺はソッチの人じゃない。あとその名前は表で軽々しく出すなよ」
「……わかった」
 遊糸は口を噤んだ。
「よし、約束だ。お前の名前は?」
 菲は彼の名前を尋ねた。
「雷 遊糸。」
「遊糸か。かっこいい名前だな。……宜しくな、遊糸。」
 遊糸は自分の名前を名乗った。迅律から託された、その名前を。