きりのPFCSログ

企画「PFCS」のログです。

MENU

【我が音色は律に非ず】 13 - 殷鑑

第十三話


 "あの眼差し"から、一週間後。
「調子はどうかね、迅律くん。」
「黒燕さん。」
 昼下がり、再び一人となった迅律の部屋に、黒燕が訪れた。迅律は微笑みながら応対する。
「概ね良好ですよ。この調子なら学校も卒業出来そうです。其れに、デビューに用いる曲の進捗状況も良好です。」
 ……然し、その瞳に光はなく。
「安心した。其れでこそ君だよ。」
「"私"は貴方の為ならば、尽力を以て事に当たる次第ですから」
 嘗て正義に燃えていた己も無かった。

「私の賭けが当たりましたわ、黒燕様」
 青いロングドレスを纏い上機嫌な厲伏の隣で、例のビルのロビーへ戻った黒燕はソファに座り煙草を吹かしていた。海外製の癖の強い味であったそれは、彼の肌と同じく黒い肺を汚していった。
「困ったなあ、私のアテが外れてしまった」
 くく、と笑う彼の項に手を触れ、つられ笑いをする厲伏。
「何が聴こえる?」
 彼女の呪詛を用いる理由に於いては、黒燕は無礼と感じていないようだ。彼は尋ねた。彼女は答える。
「"光"、でしょうか。」
「柄にもない言葉だ」
 煙草を灰皿に押し付けると、窓に映る街を嗤う。
「否、正しいか。我々の光は、世界に於いての闇だからな」
 男は、煙草をもう一度吸う。紫煙は世を燻らせ、霞んでいく。

 時を同じくして、フロアに散らばった白い粉やゴミを片付ける遊糸の姿があった。
「徹底的に掃除してくれよ。証拠が残ると困るから」
 拖布モップを持った遊糸に菲が注意を呼びかけた。彼のクラブでは禁止しているとはいえ、隠れて違法なドラッグに走る利用者も少なくない。注射器や薬剤が警察に判明されては一大事だと、清掃も卒なく熟さなくてはいけなったのだ。わかったよ、とモップを動かす遊糸。菲のいる世界も決して善良な色は帯びていない。だが、其れでも。
「バイトとあんまりやってることかわんねーな」
「誰だって下積み時代はそうだろう?」
「オレの下積みは乞食だ」
 物は言いようだな、と菲に皮肉られてもさして遊糸は気にしなかった。遊糸は信じていた。彼が黒燕と同じような社会にいても、彼の本質は闇ではないと。子供故の純真さ、そして直感の鋭さが見抜いた信仰。
「まぁ、なんだ。お宅の頑張りは裏切ってないから迅律って男も託したんじゃねえか。俺っちは黒燕についていく時点でそいつのことは信用していないが」
 但其れを菲が受け入れるには未だ時間が掛かる様であった。
「何で信用できないんだよ。迅律はオレと一緒で、無知だっただけで悪くないんだぞ」
「欲に溺れ真実を知ろうとしないのは大罪だ。」
 彼は言い切る。返せない遊糸。いいからモップを動かせ、と無機質に言う菲に腹を立てた少年は、浮かぶ彼の紫の瞳を睨む。
「……何だよ。迅兄を悪者扱いかよ。夢を見る事の、何がいけないんだ」
「夢で人生が狂う人間も居るんだよ」
 余り出しゃばるなら追い出すぞ、と脅す菲に食って掛かる遊糸。
「誰だそれは、迅兄へのあてつけか?」
 その発言には反抗心と、僅かな好奇心が含まれていた。然し、
「違う。狂ったのは黒燕だ。」
 菲の意外な回答に、遊糸は眼を丸くした。何だそれ、と少年は付け加える。
「あいつは間違った答えに導かれ、あの闇を生きている」
 バーカウンターの酒を並べた硝子製の棚を見ながら、菲は遠くを見つめる。
「だから迅律という男も、そうやって導こうとしているんじゃないかってな。俺っちの推測だけど。」
「何でそこまで分かるんだ?」
 常ならぬ彼の声に、遊糸は怯えた。然しお前は黒燕の何を知っているのかと、素直な疑問を抱いたのも事実であった。一方質問に対し何かを覚悟したかのようにため息をつき、菲は口を開いた。
「俺も嘗て蠱幇にいたんだよ。黒燕が其処に鎮座する前にな。」
 少年にとって、一番想像したくなかった答えが返された。
「そん、な」
「だから言っただろう?真実を知らないのは罪だって。」
 彼はおどけて話したが、機械化されていない方のまなこはこの上なく真剣であった。
「まー、俺っちは」
 鋼と珪素樹脂から構成された腕で頬杖を突くと、世に呆れるかのように、笑った。
「奴に殺された側だけど」
 殺された?どういう事だ?動揺し、混乱する遊糸。疑問を投げかける声は、震えていた。
「なら、本当のことを話してくれ、菲。テメーは一体……?」
「一通り仕事が終わったらな」
 そんな彼を、あくまで菲は平常を心がけて落ち着けようとしていた。

「邪剛」
「……嗚呼。間違いない。今回の調査で確実に証拠が揃った。」
 部下の密偵の通信を受け取った邪剛は、威忌の呼びかけに応じた。地下組織アンダーグラウンドな通信網は、警察や政府の目を掻い潜り蔓延っていたのだ。
「まだ奴が生きちょったか……!」
「不幸なことだ。」
 威忌の舌打ちの音が通信機越しに邪剛の端末から流れた。
「しかも、例の少年と親交を持っている」
「あんのガキが!」
 憎らしそうに威忌が言うのが、却っておかしく感じたようだ。珍しく邪剛が笑う。
「恐ろしいほどの運命だな」
「笑れ事じゃなか!」
 威忌の意見は御尤もであった。少なくとも、
「笑うしかないだろう。我々を半殺しにした奴と、奴を再生した男の息子が巡り合うとは。」
 彼らの出会いは、組織にとっては厄介事になりそうであるから。
「だが、黒燕様の望みを阻止する訳にはいかない」
「そうだな邪剛。おい達は漸くここまで来たんだ。……また現れようとも屑鉄にするまでだ。」
 銜尾蛇の闇が再び、揺らいでいた。